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サッカー戦術について整理します

上野山GM・監督の残したもの

上野山GMの残したものについて整理します。



〇試合観戦できる「目」を要求


2020年のサポーターズミーティングにて、
よくできているときには拍手。
不甲斐ないときにはブーイングして欲しいと、
サポータに注文を付けました。


https://www.kamatamare.jp/pdf/news/1073.pdf


カマタマーレを見てもらって「変わったな」と感じてもらいたいです。
常にゴールに向かっている、シュート数が増えた、ということを見てもらいたいです。
守備に関しては数的同数や不利有利がありますが、人数が多いときにはボールを奪いに行って実際に奪えているというところ、そこを見てほしいです。


それができていなかったらブーイングしてください。
それがなければ選手は感じません。


僕は口酸っぱく言いますが、
「ゴールに行っていないだろう?」「奪いに行っていないだろう?」と。
そこの共感がいただければやはり「楽しい」となり、結果が出ると思います。


~~~


さて、これまで、何度何度、カマタマーレ讃岐のサポータ内で、”ブーイング反対”と宣言しているサポータが何人かいて、理由はブーイングされてうれしい選手はいない。と主張していました。


その理屈も理解はできます。どのような形の応援スタイルもOKですけど。
我が子であれば、ほめて育てる、しからず育てるという教育方針はあるでしょう。
しかし、プロにまで育って、実際にプロの試合の最中に、勝敗関係なくほめて育てるとはいったいなんなのか。


どんだけ拍手してもスタメンは11人と限られ、スタメンは競い合い、勝ったものがスタメンとなるのだ。
そして、試合に出れなければ契約満了になる、プロの世界に生きているプロの選手に対して、
ブーイングできるかどうかは、
そもそも負けたときだけブーイングするものではないのです。




選手は、サポ―ターの試合を観る目。選手を観る目。
が備わってなければ、力が出ないのです。
応援チャントのボリュームは、おおよそ人数に比例します。
それよりも、選手とサポーター間で、

  • 良いプレーをして拍手がない。
  • 悪いプレーをしてもブーイングがない。

足が止まっているときに応援に後押しされていると感じない。
ボールを競っているときは、ほんの2,3cmのわずかの差で、取った、守った、点が入るかが別れる。
上野山GMは、選手を応援するサポータの共感が足りていない事を指摘していたのです。
ほんらいJリーガーは、社長よりも給料が高く、サッカーでほめられ、サポにちやほやされつづけ、天狗になっている面も多少あります。
しかし給料が高い選手ほど、より高く要求事項に対応する義務があるのです。
そのため、上野山GMは、選手とサポーターがより共感できれば、結果が出始めると説いたのです。



上野山GMはガンバスタジアムだけではない、Jのアウエースタジアム、アジアのACLスタジアムだったり、欧州海外のスタジアムでの経験もある。


カマタマーレ讃岐の改善点をわざわざガンバのトップからきて、まず示してくれていたのです。













〇監督や社長は勝負に責任を持つこと


ガンバの、金森喜久雄元社長は、凄腕の経営者であり情熱家であった。


サッカー界における顧客の創造
サッカー界における顧客の創造
朝日新聞出版


また強化部のすすめで取ってきた、監督、選手に試合を任せた以上、勝敗の責任を取るのは、社長であり指揮した監督である。というガンバのプロ意識を示してくれました。


ガンバ金森社長は、その著書で、経営とは、良くも悪くもトップが社会的に責任を取るべきである。

  1. 方針をだす
  2. 決断する
  3. 結果に対して責任を取る

その結果が正しければ社長は名経営者として名を馳せ、失敗すれば悪名を持って墓場まで行く。


と書かれています。


ガンバに脈々とつづくガンバイズムは、間違いなく金森社長と上野山GMと、歴戦の監督らが培ってきてきたかけがえのないものだ。


そのプロの責任の取り方を、自ら示してくれたのである。


社長が、上野山GMに監督をやって欲しいと言う。
上野山GMは、社長命により勝負に出た。
そして上野山監督の責任の取りかたは、辞任であった。




サッカーの監督の名言の中に、
・監督には二通りしかない。クビになった監督とこれからクビになる監督だ。(元イングランド代表監督、ハワード・ウィルキンソン)
を思い出す。


・Jは、勝負の世界、すべての力を注いで、勝てば喜び、負けたら自ら引く。
ガンバもこの勝負の世界に生きてきたからこそだ。
たったひとつの試合に負けただけで監督解任されることも珍しくない、命を懸けた真剣勝負のプロの世界にあっることを知っておくべきだ。






さて、同じ「監督交代」でも「辞任」「解任」「退任」「任期満了」といろいろな表記にやや違いがある。


こうした表記はクラブの発表によるものだが、「辞任」とは監督自身の意思で交代が行われること。


一方、「解任」は、クラブ側の意図でいわば「クビ」にするという形である。



2018年ロシアワールドカップ直前、日本サッカー協会は、ハリルホジッチ監督から西野朗監督へ日本代表監督の交代を行ったが、そのときには「解任」=「クビ」だった。
最後の「退任」と「契約満了」は、双方の意志により、契約期間の満了をもって、最初からの契約に基づき監督業務を終える事である。


4通りの表記すべて監督が交代することになるが、「辞任」の場合は監督への給与が途中で打ち切られる。 契約にもよるが月割に計算される。


「解任」および「退任」の場合は、途中で辞める事になっても、監督への給与契約期間の最後まで、すべて満額支払われる。




プロの世界で負けたら、負けた時に誰が言いだすかは別として、監督、社長、強化部(クラブ)との話し合いの結果、「辞任」か「解任」かどちらで発表するかを決めるのである。


あまりゆとりのないクラブにおいては、次の監督にクラブのバトンに添えて招集のための資金を渡すため、監督自ら「辞任」で自主的に去ることは、Jリーグの世界でも多く見受けられ、当たり前になっている。


また、資金的にゆとりのあるクラブであれば、クラブが下した評価として、監督を「解任」し、クラブが監督へ満額払ってでも次の監督へ交代し、最良の結果を求めるというクラブの強い男気と太っ腹を見て取ることができるのも、これもプロの世界である。


つまり、上野山監督は、2021年3月末をもって、4月を待たず、自分がもらえるはずの給与を次の監督へ充当してくれとメッセージを残しつつ自ら去っていった、あまりゆとりのないクラブの「辞任」である。





ただし、アマチュアクラブの、JFLや四国リーグの監督、高校サッカー部の監督が成績不振を理由に監督がやーめたと辞任したり、校長先生やスポンサーやGM役が、監督に解任を言い渡すことはまずありえない。
アマチュアクラブや部活の場合、成績不振を理由に、途中で監督を辞めたり、成績不振を理由に部活を途中で辞めたりすることは、途中で投げ出した、逃げ出した、いままで共に戦ってきた仲間と思っていたのに裏切ったと、同義になっている。
キャプテンなのに部活辞めてしまった「桐島、部活やめるってよ」と同じ扱いである。
そのようなアマクラブにはそもそも代わりの監督を用意していないし、Jリーグに必要なSライセンスも必要ない。



カマタマーレ讃岐のサポータは、まさに、未経験であった監督辞任のニュースを受け、途中で逃げだした。あれほど期待を持たせておいて放り出した。大ウソつき。と大騒ぎになったのである。






残念ながらサポータの多くは、カマタマーレ讃岐がプロの世界にあること、プロの世界を理解していない事、負けたら自ら引くことなどなど、Jリーグの常識を知らな過ぎることが、氷山の一角として現れた瞬間であった。 


結果にこだわりがなく、勝っても負けても解雇されない状態は、プロとは呼べない。


狭い狭い丸亀に閉じこもらずに、まず他のクラブとの差を知り、学ぶべきことが多々あることに気付くべきである。





周知の事実だが、カマタマーレ讃岐は、上野山監督以外、すべての監督が、シーズン終了後、任期満了で退任という形をとっている。
また、カマタマーレ讃岐は、発足以来クラブとして監督を「解任」した事例が一度もない。
これまでのコメントを見ると、社長が「留意」したとか「これまでの功績をたたえて勇退してもらう」とか、まるで生ぬるい、卒業する学生の部活や、監督が絶対権力を握るアマクラブの延長としてしか捉えていないクラブなのである。
(中島強化担当を解雇したことはある)


なぜなら、カマタマーレ讃岐の監督人事は、まず取締役会と株主総会でお伺いしてから、のちの取締役会にて決議している事項だからである。 社長にもクラブにも「解任」という選択肢が歴代持ち合わせていないのである。 
お上に責任はない、委員会(取締役会)できめた事項ですよ。
とかまさにお役所仕事の言い訳そのものです。


本来、プロクラブであれば、監督を「解任」するのは、強化部の助言の元で、社長が最終決断を下さないとならないはずであり、当然のリスク管理として次の監督も候補として控えがある。だが、そのようなプロサッカークラブに大切な1丁目1番地のクラブマネージメントの監督人事すらまったく機能しておらず、スピード感が他のクラブとまったく異なるのである。そんなクラブもはやJクラブとは〇い〇い。


カマタマーレ讃岐の元凶は、長年のお役所経営者の慣例だった、共に戦わない責任者に、責任逃れ体質、丸投げ体質、全面委託体質があるからなのである。












2021年の上野山監督は、“辞任”というカマタマーレ讃岐の前例のない偉業を成し遂げた。


つまりカマタマーレがクラブとして“解任”できないなら、GMの立場として、自ら監督を“解任”した。


GMと監督が兼任しているからややこしいが、つまり“辞任”である。
上野山監督は、選手を見極める力はケタ違いである。
試合を開始する前から、結果はわかっていたと思う。
ワクワクするサッカーを見せる、攻撃的なサッカーを目指すとの約束をひとり背負い、実際に指揮すると、まったくお手上げな結果しか出なかった。
(松本山我も、攻撃的なサッカーを目指し、まさかのJ1⇒J2⇒J3と大失速。クラブの構築は長き道のりで難しいが、クラブの崩壊は一瞬であった事例は他にも多々ある)


上野山GMは選手を見極める力があるからこそ、この惨状から挽回することはとても難しいこともたちまち分かっただろう。


Jの監督、社長、強化部、選手、プロの世界で成績が伴わないならクビになる。
プロの世界の厳しさを自ら模範として示してくれたのである。



上野山GMを失ってしまったが、残してくれたものは、キッチリ受け継いで欲しいと願う。
北野監督が求めていたクラブの成長って、フロントの成長による、地域活動とプロ組織の形成だったはず。



さて、ことし新監督は、「チームがひとつになって」と繰り返しているが、
そのチームの中に、現在のクラブ幹部や取締役会メンバーも、はたして含まれているだろうか?