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サッカー戦術について整理します

北野監督の大罪「僕がいるからクラブは成長しなかった」



北野監督の退任コメント 「僕がいるからクラブは成長しなかった」を考えてみた。




クラブを去る際には、サッカー文化、体育の文化、日本の文化として、立つ鳥跡を濁さず。と、なにも語らず去っていく方が大多数であり、よく美談、人格者、日本の誇りとして語られている。 
また、去って行く者がグチっても、誰ひとり得をしない。 
それもひとつの真実だと思う。


だがしかしその結果、全責任を監督ひとりに背負わせ、そして負ければ切る。
そして次の監督、その次の監督と人切任命を繰り返してはいないだろうか。



まるで、日本独自古来の戦国武将のサムライ文化のように、殿様が家臣に命令しておいて、失敗すれば家臣は切腹とする。 とリアル「真剣の勝負」勝負の世界そのままではあるが、殿様絶対権限、殿様の任命責任など微塵もない時代錯誤のやり方とも言える。


鎌倉時代から江戸時代まで続いた日本のサムライ文化は、昭和になっても、ノモンハン事件、203高地、インパール作戦、ルソン島の作戦、天一号作戦などなど、作戦を考えた大本営様は命令するものの、現地で部隊を指揮する師団長は、無理難題を突き付けられ、拒否したら切腹、失敗しても切腹、最後は特攻が成功しても必ず戦死とあり得ない状況にあった。


平成も終わり、令和がスタートして4年もたった今日この頃であれば、日露戦争、太平洋戦争の事など大半の人が勉強していないか、学んでも昨日の事すら覚えていないだろうから、  
例えるなら、グフを失い補給も受けられないまま、白兵戦でガンダムに挑んでくるランバラル隊の悲哀ようなものと言えば若干わかるだろうか。





また日本文化の良い面もある。「人事を尽くして天命を待つ」という、可能な限りの最大の努力をしたら、天の意思によって必ず逆転できる。 
桶狭間の戦いや元寇など、何倍も何十倍もの戦力差があっても、努力は必ず報われると信じ奇襲策や神風を生み出し、打ち勝ってきたという日本人特有の文化や精神論が良い意味で今でも残っている。 
剣道、柔道、相撲など日本独自の国技に受け継がれ、日本の精神論の原点とも言える。


日本人はどのような逆境にあっても、できる範囲で最大に頑張る。 


素晴らしいことだとは思うけどだ。



ん。待てよ。 


うちの殿様はそもそもクラブ経営の改革を頑張って進めているのか? 
いやクラブ経営頑張ってはいるが同水準を保つ現状維持の保守なのか?




しかし北野監督が去ったあととり残されたクラブは、問題点をペンディングしたまま、何年も何年も進展しないまま現状維持でよいわけがない。 



実は、去って行った選手の中やスタッフからも、他のクラブと比較できる境遇にあった方々は直接的な表現は避けてはいるものの、


・人を大切にしないクラブに未来はない
・練習がぬるい
・生え抜き子はクラブの宝である
・普通ではない (どこがなにがは指摘していない)


などと、クラブの問題点を指摘し、解決を促すコメントがあった。



しかし、サポのほぼ大多数は、立つ鳥が何をコメントしようが、その指摘した点を見ても見ようともせず、指摘した方が水を濁している。おかしいとレッテル張り、クラブの問題指摘点を無視し続けてきたのだ。



そう、
・サポはひたすら指をくわえてただただ祈るのみ。
・クラブを応援すること、ごみ拾いと清掃しかできない。
・レッズのような応援を届けたら毎年優勝できると信じるのみ
・プレス発表に一喜一憂するだけ。
これもまたひとつの真実なのである。




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北野監督が退任後、声を大にして問題を指摘するまでは、カマタマーレの経営層でなにがどうなっているのか、
どこがダメだからサポが増えないのか、なぜトップチームが弱いのか、ピッチ上、試合しか観戦しないサポの大多数は知る由もなかった。



さて、本題の北野監督の退任時のコメントを集めてみた。
 去っていった選手らが何も語らない立つ水鳥であるならば、
 去った北野監督は、例えが思いつかないが、飛びたつときに大声で鳴くキジさんや、駅のホームのハトさんなのかもしれない。


1.「Jリーグに上がって次の目標はJ1だったが遠いものだった」(公式HP)
2.「次J1に行くぞというリーダーがいなかった」(公式HP)
3.「主導権の所在が曖昧になりがちのクラブ」(フットボール批評23)


4.「Jリーグとしてサッカー文化というのを作りたかったが浸透できなかった」(公式HP)
5.「フロントが成長しないことが苦しかった」(監督の異常な愛情:内外出版社)
6.「僕がいるからクラブは成長しなかった」(4SPO)
7.「僕のためにもならなかったし、クラブのためにもならなかった」(4SPO)


とはどのような状況を指摘しているのか。





わたしは、
1.2.3. は香川県を支配している変えようがない固有の体質にある。 
4.5.6. はJFLのままの企業体質、他のクラブから学ばない保守体質にある。
と読み解いた。
7. は結果的に起こった事象だ。



4.5.6.の問題点、企業体質の張本人は経営者にあり、経営バランス上、スタッフの数が圧倒的に足りていないために起因している。


スタッフが足りないなら倍増したらいい。
あたりまえで単純な話ではあるが、そのスタッフを雇用するための資金が足りないのである。


なぜ資金が足りないか。



なぜなら、北野監督が強化(選手獲得費用)に使ってしまうからである。
クラブの資金50%の強化費に充てるとはクラブとして相当に異常な経営状態である。


当然ながらクラブの資金には上限がある。


クラブは念願だったJで戦っている最中だ。 
当然強化しないとならない。


・JFLまでは、勝負に勝たねばJへの昇格が叶わなかった
・J2昇格後は、J2で互角に戦い、なおかつJクラブとしての使命を課せられた。


しかし、北野監督とカマタマーレ讃岐の強化方法も、
「監督の異常な愛情」に記載されている。
毎年、10月になると、来期の強化費はこれぐらいです。と予算枠が示される。
北野監督と手続き担当の方が、仲介人のリストの中から選手を選ぶ。
予算枠を目いっぱい使い切ってしまっていることがわかる。





しかし、
本来Jクラブへ昇格したクラブに課された義務は、試合に勝つことだけではない。
・本来のJクラブとしての責務である地域活動を通して、未来の日本のサッカーを築くこと。
・Jクラブとして広報活動を展開し、地元企業を盛り上げる活動プロモーション=スポンサーを多く勝ち取りともにリーグを戦う事。
を同時に課せられていた。




しかも、経営者が、Jの知識がないまま限られた予算を、JFL時の時と同じく使ってしまうと、 その予算のシワは、クラブ組織の成長を後回しに阻害する。 
地域活動も企業プロモーションもお金はなくてもやりようがあるが、人の数が少なくてはなにもできない。


繰り返し何度も指摘するが、50%のチーム人件費(強化費)はクラブとして異常な経営状態である。
つまりスタッフの数と質をそろえることが不可能になるまで、強化費に回してきたことになる。 



そのスタッフの数と質は、クラブの成長そのものであった。




そしてJ3に降格したあと、外様からやってきた池内社長へ経営者が変わっても、その異常な企業体質は残念なことに、致命的に引き継がれてしまっている。


北野監督は、50%3億5千万を強化費に充てた。


池内社長のもとで、上野山GM西村ダイレクター体制であっても、
いままでの経営者らとなにも違いが見えず、チーム人件費(強化費)は50%近く相当に高いまま、引き継がれてしまった。


そして、地域活動、広報活動、スタッフの数と質をそろえることは、いまでもなお置き去りにされたままなのである。




・クラブハウス問題
・練習場問題
は、この八方塞り苦境の中、少ないスタッフであっても、前社長が文字通り命を削って解決に向けて尽力した結果、香川県は香西西地区港湾緑地、高松市はりんくうスポーツ公園を整備し、さらに、三豊市の緑ヶ丘総合運動公園サッカー場と宝山湖公園を手にして、ようやくどうにか軌道に乗ったところだ。


・ホームタウン活動
は、竹内彬リーダーが、イオンモール、高松の商店街、スポンサーの店舗、シャレンなどで活躍がちらほらと目立ち始めた。


まさに、白兵戦でガンダムに挑んでくるランバラル隊の大成果だった。
お金がなくとも創意工夫で、長く、数を継続することが大切である。
しかしながら、竹内彬さんひとりに全責任を任せるのは組織として甘えすぎでありやはり異常である。
もし仮に竹内彬さんのようなOBが10年間、3人いてスポンサーのための広報活動、ホームタウン活動を継続していたとしたら、香川県はサッカー熱はもっと湧き上がっていたはずだ。
さらに、トークンの運営に彬さん2人、スポンサー広報に彬さん5人、チーム広報に彬さん3人程度いれば、J2クラブ並みに発展できたかもしれない、とすべて同じことが言える。


もう10年前、ほぼ同時期に岡山と讃岐はグランド整備の署名集めをしたものの、その後の10年の差(Jに相応の経営をしたクラブと、なにもしなかったクラブ)が、ファジアーノ岡山との圧倒的な差となって表れている。







以上、要約すると、
北野監督の大罪は、J2昇格後もJFL同様な強化費に1点集中経営をし、未来にツケを回したことにある。


・クラブフロントがいつまでもJFLのまま (強化費のみの異常経営)
・圧倒的にスタッフが足りていない (JFLクラブ+試合運営程度)社長含めて10人程度
・サッカー文化をつくり育てる事はおきざり (10年前とは遥かによくなったが)


4.「Jリーグとしてサッカー文化というのを作りたかったが浸透できなかった」(公式HP)
5.「フロントが成長しないことが苦しかった」(監督の異常な愛情:内外出版社)
6.「僕がいるからクラブは成長しなかった」(4SPO)
7.「僕のためにもならなかったし、クラブのためにもならなかった」(4SPO)


と北野監督がJ2で揮った猛将の手腕の引き換えに、フロント(地域活動、プロモーション)が成長しなかった。
重ねて言わせてもらうが、地域活動も企業プロモーションもお金はなくてもやりようがあるが、人の数が少なくてはなにもできない。


他のJクラブの取組や、他のJクラブのスタッフが何人ぐらいの組織であるか調べたことあるのだろうか。 調べていたとしても、まったく参考にしていない。



経営者が池内社長になっても、なおフロントや広報や地域活動の資金が足りていない。
人手が足りず首が回らず、クライアントと経営者の間に挟まれ、負ければ各方面からのクレームの矢面に立つ。
そんなフロント社員を大切にしない、いままでと違いが見えてこない経営者がいるため、次々とフロント社員が辞めていく状況は慢性的に今も続いている。




・経営とかにも口を出しておけば良かったのかなとも思います。(公式HP)
と北野監督退任コメントで語ったのが特に印象に残る。





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〇カマタマーレ讃岐を強くするための解決策は、
・スタッフを倍増させる 10人→20人  
・アカデミー部門を倍増させる (生徒数、コーチ数)
とにかく、サッカーの裾野を広げ、(スポンサーを増やし)クラブとしてできること取組むことを増やしていき、組織規模を拡大しつづけること、
Jクラブではスポンサー対応は欠けてはいけない必須のコア事業であり、
試合運営+ボラ対応さえしておけ(JFLや四国リーグのまま10人程度で)ではダメなのだ。


すべて、クラブのお金の話と人の話、 つまるところクラブ経営の話なのである。




4.「Jリーグとしてサッカー文化というのを作りたかったが浸透できなかった」(公式HP)
5.「フロントが成長しないことが苦しかった」(監督の異常な愛情:内外出版社)
6.「僕がいるからクラブは成長しなかった」(4SPO)



北野監督以降の監督・選手・辞めたフロントスタッフは、全員一律に口を堅く閉ざし経営の問題点指摘は一切していない。 
去って行く者がグチっても、誰ひとり得をしない。 
これもひとつの真実だと思う。



しかし本当に讃岐愛があり、問題解決にむけあえて口を開いてくれた方はただひとり、失敗しない西軍大将石田三成こと、北野監督だけであった。





〇まとめ


監督が、チームの強化にまで、さらにはプロモーション活動や地域活動まで、業務として活躍を期待するのはJクラブとして相当に異常な事態であった。


北野監督に見捨てられたクラブは、監督を毎年次々変えるものの、結果はJのボトムにまで落ちた。



練習場問題、クラブハウス問題にサポは大規模に署名活動を展開した。 願いはJ1ライセンスを取得するためであったが、、、あれから長く長く待ち続けようやく来秋には手に入れる。
ただ夢の夢のはるか先、J1ライセンスのためではなく、いまいる選手たちへの、未来の選手たちへの万全なる支援体制を構築できるようになったことが、池内社長の大きな功績として残るとは思うが。


しかし、香川県にサッカー文化をつくるという本来の目的に対して、プロモーション、地域活動は放置されたまま立て直すきっかけさえ見られていない。 


散歩しているおじいちゃんに『このままだったら、サッカー熱が冷めるぞ』っていう風に言われたままだ。


私も同じような経験がある。
昨年だったか、利用するとクラブへ寄付できるWAONカードを探しに、某イオン系列のコンビニミニストップへ行った。 カマタマーレ讃岐のWAONありますか?とコンビニの店員に聞くと、なんと返しが、


店員:しらないです。と、
カマタマーレという”単語”が、サッカーのクラブの名前であること、
サッカーのWAONカードが存在していること、
を初めて知ったと呆然としていました。
そしてWAON寄付カードは当然スポンサー系列のコンビニであるにもかかわらずない。


クラブはWAON寄付カードの存在を広報しているような気がこれっぽっちもしないし、
10年経ってもスポンサー系列の店員さんですら、本気でクラブ名を一度も聞いたこともないと言う。
よって、だれもスポンサー様が活用しているWAON寄付カードを入手できない状況が続き、クラブ名が大多数の香川県民にすら認知されていない状況が現在も続いている。 
サッカー熱どころかクラブ名を一度も聞いたことがない県民がそこらじゅうにいるのが現実だ。
サッカー文化の育成とは程遠いと言わざるを得ない。
(後日、坂出駅前イオンのサービスカウンターにて入手はできた)




激減したサポータは、
現状肯定派(目をつぶる派、ブーイング否定派)と、
改革推進派(異を唱える派、ブーイング推進派)で、
どちらもクラブを愛してやまない数少ないサポータであるにもかかわらず、互いにダメ出ししあい、内輪もめしている状態にみえる。


1.2.3.は北野監督以前にクラブから去った方々および香川県固有の問題に起因するところが大半の問題。
4.5.6. はすべてクラブの舵取り、クラブ経営努力を怠り続け、経営判断を修正できないことに起因している。



北野監督の大罪は、監督という範疇をはるかに超え、クラブの予算枠の舵取りにまで監督にゆだねていた経営者の怠慢を見てもなお、
経営に口を出さなかった事である。



結果は、
7.「僕のためにもならなかったし、クラブのためにもならなかった」(4SPO)
と集約される。






〇最後にひとこと


当然クラブ事情をよく知っていた歴代の監督および幾多の功績があるGMにも同罪が言える。


「あとは野となれ山となれ」 
自分はやるべき事をしたのだから、後のことは知ったことではない。 
と、またひとりまたひとり、歴代の功労者たちは、「立つ鳥跡を濁さず」香川県を去って行く。



本来、選手OBや、歴代の功労者たちは、ユースやジュニアなどの指導者として、次の世代の選手を育成し、別の角度からクラブを支えるべきがJリーガーをやり切ったOB選手の本来のあるべき姿であり、香川県内のサッカー育成関係者の裾野を増やしてくことが、サッカー文化をささえるJクラブの役割であり使命だとは思うが、10年間、ほぼほぼ全員OBは香川県から去っていく。


クラブの空いた役職に、竹内彬選手や、永田亮太選手、清水健太選手らが残ってはくれてはいる。 しかし、クラブ組織を拡充していった良いお手本が、ガンバの下部組織の拡充育成手法であったため、上野山GMを補強した際には香川県サッカーが良くなっていくと相当に期待した。 その育成の第一人者としての手腕に相当期待できたGMを、カマタマーレは一度、手中にしておきながら有効に使う事もできないまま、人切任命、使い捨て、無駄死にさせてしまい、ただただ残念であり無念でならない。 個人的にカマタマーレのもう元には戻れない第2の分水嶺だったのではないかと思う。 (第1の分水嶺は、2014年香川県知事選挙事件)


そして香川県下の町クラブに、他のJリーグ経験選手の良い指導者もちらほら見かけるものの、うどん選手OBからはただひとり、高木和正選手が初めて、自力で香川県の底上げ育成を自ら拡充する決断をしてくれている。





さて、2022W杯、森保ジャパン観戦に、高松市内のスポーツバーに深夜早朝問わず100人超過で集まることがあっても、
UDONサポがスポーツバーなどAWAY観戦に集まることは、この10年間でただのいちども見たことがないままなのである。




Jに上がっても、社長が交代しても、3歩進んでも、毎年毎年スタッフが辞めていくため、またフリダシに戻っているように見える。
サッカー文化が積みあがってこない、このJリーグ参入10年目を迎える香川県である。