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サッカー戦術について整理します

上野山監督兼GMの辞任について④

〇上野山監督兼GMの辞任について①、②、③から続きます。



〇2006年香川県サッカー協会
 香川県サッカー協会とは何をする組織かと言うと、香川県で行われる、社会人(Ⅰ種)から小学生(4種)までの各種サッカーの試合(リーグ戦、カップ戦、天皇杯など含む)の事務業務・開催・運営業務が主業務である。


 また、日本サッカー協会が進めている、審判、監督、コーチのセミナーなど教育を開催実施し、いわゆる、A級、B級、C級ライセンスの発行を香川県サッカー協会で主体として実施する組織である。


 最大の目的と、最重要な業務とは、日本代表の強化・育成である。
県内の小・中・高所属の選手のなかから、地域内(東讃、中讃、西讃)で優れた選手を選抜し、選抜選手を指導する。さらに県内の選手から優れた選手を香川県代表として選抜する。さらに香川県の選抜選手の中から、四国4県の代表選手を選抜し、最終的に全国の中から日本代表を選抜するという。トレセン(ナショナルトレセン)方式を採用している。その選考役と指導者になってもらっている。


 つまり日本代表になるには、選手の才覚は一番大事として、まずその才覚が、香川県の東讃地区、香川県内、四国内、日本でと、所属するクラブの指導者だけでなく、多くの指導者の目に留まり、多くの指導者の指導によって、日本代表が育っていく方式を採用している。香川県サッカー協会には、地域内、県内、四国内(徳島、香川、愛媛、高知)までの、その子の才覚を見極め、的確に長所短所を指導できる指導者が集結し力を合わせ、香川県サッカー協会として組織しているのである。





〇香川県サッカー協会の人物
 サッカー協会の構成メンバーは、各県サッカー協会の事務所に、常駐の事務員数名と、その県に所属するサッカークラブの代表者から毎年交代でボランティアとして選出され香川県サッカー協会として従事することになる。さらに、上位にあたる四国サッカー協会へ1,2名、さらに最高位である日本サッカー協会のメンバーに1名、名を連ね、場合にはよっては会議などに、あくまで旅費などの実費はともかく、土日祝のほぼすべて、家族や本来の仕事を犠牲にしてまで、ボランティア出席する事になる。


 つまり、香川県サッカー協会のメンバーに名を連ねるという事は、専従でサッカー協会の専従者となる一部の方を除き、本来の高校先生、サッカークラブの監督・代表・顧問としての業務をこなしつつ、ほぼ全員兼任であくまでボランティア奉仕を前提に組織されている。
 では、実際に香川県サッカー協会(ボランティア)を引き受けてくれた方々は、比較的自由に自分のスケジュールを決めれる自営業の方や、企業を引退したシニアさんや、学校の現役のクラブ顧問、小・中学生の町クラブの代表コーチなど、サッカーの指導者として引き受け担当する事が多かった。つまり、町内会、マンション組合、PTAなどと同じで、面倒な調整や世話役をこなさなければならな事と同義になる。
 しかし彼らはなぜ香川県サッカー協会を引き受けるのか、試合運営をとおして、香川県全体のサッカーを発展させようという共通した高い意識と志があったからに他ならない。



〇香川県サッカーからカマタマーレ讃岐の誕生と分離
 香川県でクラブに所属するすべてのサッカー選手は、香川県サッカー協会に加入することになり、クラブ単位の課金、選手個人の課金が課され、全員会費を納入する。その集めた会費と各種の助成金は、当然ながら香川県のサッカーの振興、香川県サッカー協会の活動資金に充当されるべきものである。


 2006年までは香川県サッカー協会の資金を充てて、香川県代表クラブとしてカマタマーレ讃岐の遠征費用や活動資金の一部まかなうことができた。しかし、Jリーグを目指すとなると話は別となる。当然ながら、香川県サッカー協会所属とは言え、Jクラブのカマタマーレ讃岐の活動資金を、香川県サッカー協会費からすべて充てるべきではない。また、カマタマーレ讃岐を支援する、有志による寄付金だけに頼るカマタマーレ讃岐では、チーム強化どころか運営費にも限界があり、四国リーグを勝ち抜くことは不可能だった。


 カマタマーレ讃岐は、当然ながら、県リーグ、四国リーグそしてJFLへ昇格し、その上、Jリーグへ昇格するための組織運営費や選手強化費を、自前で集めるための会社組織として、香川県サッカー協会とは財源を別に、別の組織として、県や市の公的資金を受けやすいNPO法人として、2006年カマタマーレ讃岐が誕生した。その後に出資金を募ることになる株式会社カマタマーレ讃岐が2008年設立することになる。 (ただしスポンサーはまだついてない)


このように香川県サッカー協会を母体として、別の組織として分離し、
株式会社カマタマーレ讃岐は誕生したのである。


次は、誕生まもないカマタマーレ讃岐を立ち上げ、支えてくれた ”人物” を実名をあげてフォーカスしてみたい。


上野山監督の出番はまだ遠い。