あなたのハートにゲーゲンプレス

サッカー戦術について整理します

2008-2009年 カマタマーレ讃岐 羽中田昌監督

2008年のカマタマーレ讃岐は


羽中田監督(漫画オフサイドの主人公、車いすの監督)
・TV番組情熱大陸でも特集が組まれるほど期待された監督であった
住谷幸伸社長
・NPO⇒株式会社カマタマーレ讃岐へ移行した初年度
四国リーグ(J1、J2、JFL、地域リーグ(四国リーグ)の順)
・クラブの年間予算5000万円(ほぼ試合運営費)
・専用練習グランドなし
・練習着もバラバラ
・選手はアルバイトをしながらサッカーをしていた
・プロ契約は数名
吉澤佑哉(1986年生まれ 元鹿島選手)を招聘


2009年には 穴吹工務店が早くも胸スポンサーから撤退
胸スポンサーが見つからないまま、香川県の名産品「さぬきうどん」を胸に入れる。



雑誌特集
http://www.hayano.co.jp/content/files/download/muh28.pdf



カマタマーレ讃岐の監督に就任した、羽中田監督の夢は、
監督としてバルサに勝つ」ことを挙げていた。


バルサで学んできた羽中田監督にとって、夢は大きくあるべきだとは思う。
諦めなければ夢は逃げないとも言うけ・れ・ど・も・だ。
(カリスマバックパッカー、高橋歩を熱血にパワーアップしたような監督のようです)


夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。
夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。
サンクチュアリ出版



しかし、四国リーグのクラブが、天皇杯に優勝し、ACLに優勝し、ようやくクラブワールドカップに出場でき、バルサと対戦し、勝利するのは、確率は0でなくても、天文学的数字となるのは明らかで、、、



さて、羽中田監督の主な特徴は、
・午前9時練習開始
・バルサのポゼッションサッカー
・サイドチェンジなし、細かく繋ぐサッカー
・4-3-3
・映像分析による選手への指導
・選手のモチベーションを保つ工夫
・クラブを去るときは、起業して社長になるとき と選手のセカンドライフの指導者でもあったようだ。



当時の四国リーグは、ボルティスセカンドとカマタマーレ讃岐の一騎打ちのリーグだったため、リーグ戦はひとつも取りこぼしできない試合となった。
ただ、四国リーグを勝ち切ったあと、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(全国の地域リーグ決勝大会)で優勝準優勝することでJFL昇格への道が開かれる。






2008年、2009年、羽中田カマタマーレ讃岐は、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ、JFL昇格プレーオフにて敗退し、請負った依頼「JFLへの昇格」を2年連続で逃した責任を取り、監督辞任を申し出た。(全国地域リーグ決勝戦へのサポーターは約100人)
プロの世界ではたったひとつの試合に負けるだけで解任される監督も珍しくない。
バルサで世界を学んだ羽中田監督にとって、敗退の責任は、すべて監督が背負うのがこの世界の常識として示した。


まだ設立まもないクラブフロントは当然継続してくれるものと想定していたが、急な辞任の申し出に、動揺し、慌てて次の監督を探すことになる。
(当時も今もリスク管理もなにもこの世界の常識的な準備が全くできていないフロント)




香川県出身で、唯一Sライセンスを持っていて、Jの監督経験もあった、名将北野監督へのバトンタッチである。




必ず、愛は勝つ! 車イスサッカー監督 羽中田昌の挑戦
必ず、愛は勝つ! 車イスサッカー監督 羽中田昌の挑戦
講談社